経 歴 |
Yoshikazu Matsuda | |||||
松田 芳和(マツダ ヨシカズ) | 1967年8月2日 生まれ | |||||
1993年 | 富山大学医学部卒業 | ![]() 湘南鎌倉人工関節センター 整形外科部長 松田 芳和 |
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1993-95年 | 富山大学整形外科・麻酔科研修 | |||||
1995-96年 | 軽井沢町立病院 整形外科 | |||||
1996-97年 | 厚生連頸南病院 整形外科 | |||||
1997-98年 | 新潟県姫川病院 整形外科 | |||||
1997-98年 | 新潟県姫川病院 整形外科 | |||||
1998-99年 | 富山協立病院 整形外科 | |||||
1999-2007年 | 葦の会 石井クリニック 整形外科部長 | |||||
2005年 | Florida Orthopaedic Institute (USA) | |||||
2007年〜 | 湘南鎌倉人工関節センター 整形外科部長 | |||||
専門医: | 日本整形外科学会 整形外科専門医 | |||||
日本体育協会 スポーツ整形外科専門医 | ||||||
所属学会: | 日本整形外科学会 | |||||
日本人工関節学会 | ||||||
日本臨床スポーツ医学会 |
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日本臨床バイオメカニクス学会 | ||||||
American Academy of Orthopaedic Surgeons | ||||||
Orthropaedic Research Society | ||||||
Awards: | 平成14年度 富山大学立山セミナー 最優秀演題賞 | |||||
平成17年度 7th EFFORT Congress The 10 best poster AWARD | ||||||
平成18年度 John N. Insall Traveling Fellowship | ||||||
平成19年度 日本整形外科学会推薦 JOA-HOKA Traveling Fellow; | ||||||
1985年、群馬県の山中は御巣鷹山で日航機墜落事故が起こりました。高校3年生の夏でした。当時、経済に興味があった私は、すでに某私立大学の経済学部への推薦入学を決めていました。しかし、テレビ画面に連日映し出される悲惨な映像、そして多くの方々が救助に向かう姿をみて「人を助ける職に就きたい」と強く思うようになりました。そして医師を志したのです。あれから早いもので22年の月日が流れ、医師として14年目を迎えています。スポーツが大好きな私は機能外科を扱う整形外科に入局。当時の富山大学教授が脊椎の第一人者であった事もあり、脊椎を中心にスポーツ外傷から変性疾患まで整形外科全般にわたり多くの病院で患者さんと向き合ってきました。7年前から人工関節に興味を持ってこつこつと研究をしてきました。その結果、2006年にJohn Insall Traveling Fellow(毎年、人工膝関節を専門としている若手医師が世界中から4名選ばれる)になる事ができました。 5週間かけて人工関節をリードする全米の病院、研究施設をまわったのですが、その時にボストンで講演に来ておられた平川和男センター長と出会いました。世界を相手に研究結果を発信し、世界の一流の先生方と同じ土俵にあがって交流を続けていくことを目標にしていた私には、この湘南鎌倉人工関節センターを立ち上げた平川センター長のコンセプトが強く胸に響き、強烈なシンパシーを感じたのです。その僅か2ヵ月後には当センターでの勤務を決心していました。センターでの仕事も2年目となりました。埼玉の熊谷に妻子を残しての単身生活を送っていますが、当センターの医師、スタッフはとてもプロ意識が高く、常に高いレベルでのモチヴェーションをもっているので、一緒に仕事に邁進することが出来ます。 10年前は痛みをとることが人工関節置換術のゴールでしたが、現在は違います。医学の進歩に伴い、術後の機能も大きく改善してきています。その一方で、患者さんのニーズも日々高まっています。少しでも多くの患者さんが、より快適な日常生活を送れるように全力を尽くしていきたいと考えております。今後とも宜しく御願い致します。 |